イオンモール四日市北 グルメ特集
地元四日市市の素晴らしい歴史や文化である「宿場町」「祭」「伝統・技術」「工場夜景」を
4つのテーマで紹介するコーナーを設け、
「食」を楽しむと同時に四日市市の歴史・文化を感じていただける空間です。
宿場町
-
- 使用画像
- レプリカ浮世絵版画 東海道五十三次「四日市 三重川」
- 説明文
- 【東海道五十三次】四日市 三重川
四日市宿は、江戸時代に整備された江戸と京を結ぶ東海道にある53の宿場、東海道五十三次の43番目の宿場です。
道中には名所旧跡が多く、浮世絵や和歌・俳句の題材にもしばしば取り上げられました。上の絵は、歌川広重の筆による四日市宿の近くを流れる三重川(三滝川)のあたりの様子です。
※説明文・・・四日市観光協会HPより一部抜粋
-
- 使用画像
- レプリカ浮世絵版画 東海道五十三次「四日市 三重川」
- 説明文
- 【歌川広重】うたがわ ひろしげ
寛政9年~安政5年(1797年-1858年)幕末の浮世絵師。
特に風景画絵師として人気を博し、ゴッホやモネなど、海外の画家にも影響を与えたと言われる。
左は大ヒットした「東海道五拾三次之内」シリーズの「四日市宿 三重川」。
※説明文・・・太田記念美術館HPより一部抜粋
-
- 使用画像
- 東海道 今昔マップ P.2「5.富田の一里塚跡」写真
- 説明文
- 【富田の一里塚跡】
三重県四日市市富田3丁目20番地 江戸日本橋を起点として、街道の両側に一里(約4km)ごとに土を盛り上げ、えのき等の樹木を植えて旅人の目印にしたものが一里塚である。
こちらは日本橋から98番目の一里塚。日永の一里塚跡とともに三重県指定の史跡。
※説明文・・・広報よっかいち「郷土史への扉」より一部抜粋
-
- 使用画像
- 東海道 今昔マップ P.2「6.鳥出神社」写真
- 説明文
- 【鳥出神社】
三重県四日市市富田 富田駅南、線路の西に接して鎮座する。
日本武尊が能褒野(のぼの)で死去したときに、尊は白鳥となって熱田に向かったが、その白鳥がこの地に憩いまた飛び発ったところから「鳥出」と名付けられたと言われている。
この地は富田御厨の地とされ神宮御厨の一とされている。
※説明文・・・広報よっかいち「郷土史への扉」より一部抜粋
-
- 使用画像
- 四日市STYLE 5P「日永の追分(県指定記念物)」写真
- 説明文
- 【日永の追分】
追分とは、道が二つに分かれるところで、日永の追分は、江戸と京を結ぶ東海道と伊勢に向かう伊勢街道との分岐点にあたる。日永は四日市宿と石薬師宿の間に立つことから間の宿とよばれ、周辺には多くの旅籠や茶店などが並んでいた。三重県指定記念物。
※説明文・・・四日市市HPより一部抜粋
-
- 使用画像
- 四日市STYLE 5P「杖衝坂」写真
- 説明文
- 【杖衝坂】
三重県四日市市采女町
東海道の中でも有数の難所で知られる。『古事記』によれば、日本武尊が東国征討の帰途、伊吹山の神との戦いで病に倒れ、大和帰還を目指して剣を杖代わりにしてこの急坂を登ったとされる。
この急坂を登りつめたところに、日本武尊伝説地の一つである御血塚の祠がある。
※説明文・・・三重県HPより一部抜粋
祭
-
- 使用画像
- 四日市観光協会HPより「鳥出神社(トリデジンジャ)の鯨船行事(ユネスコ無形文化遺産)」
- 説明文
- 【富田の祭り】
富田地区には、特徴的な二つのお祭りがある。ひとつは、日本一やかましいと言われるお囃子で盛り上がる「石取り祭り」。
もう一つは、ユネスコ無形文化遺産にも登録された「鳥出神社の鯨船行事」である。
※説明文・・・四日市観光協会HPより一部抜粋
-
- 使用画像
- 四日市STYLE P.8より「富田の石取祭(市指定無形民俗文化財)」
- 説明文
- 【鳥出神社の鯨船行事】
富田の石取り祭は、富田地区の3地区で富田の石取祭車の競演が行われる。山形提灯が飾られた3台の石取山車が町内を巡行。鉦や太鼓の賑やかな音を町中に響かせて練り回る。四日市市の無形民俗文化財に指定されている。
※説明文・・・四日市観光協会HPより一部抜粋
-
- 使用画像
- 四日市STYLE HPより「大入道(おにゅうどう)」
- 説明文
- 【大入道(おにゅうどう)】
旧・桶之町の町衆がオケに「大化」の文字をあて、オバケの仮装行列を四日市祭に奉納したのが始まりと考えられ、妖怪や鬼を思わせる彫刻が山車にも施されている。また、町に出没する狸の悪事に困りはてた人びとが、凄みのきく 大きな大入道を作り、狸を退散させたという民話も言われている。三重県の指定有形民俗文化財に指定されている。
※説明文・・・大四日市まつり実行委員会事務局HPより一部抜粋
-
- 使用画像
- 四日市STYLE P.8より「富田一色けんか祭り」
- 説明文
- 【富田一色けんか祭り】
町内19町が北・中・南の3組に分かれ、直径1m、重さ100kgの鉦と長さ1m、直径60cmの太鼓を担いで神社に競い合って練りこむ勇壮な祭りである。
※説明文・・・三重県観光連盟HPより一部抜粋
-
- 使用画像
- 四日市観光協会HPより「鳥出神社(トリデジンジャ)の鯨船行事(ユネスコ無形文化遺産)」
- 説明文
- 【鳥出神社の鯨船行事】
鳥出神社の鯨船行事は、三重県北勢地域に伝わる捕鯨行事のひとつで、逃げまどう鯨を鯨船でおいかけ銛でしとめる様子を再現し、鯨取りの大漁と厄除けを祈願。江戸時代後期に創始されたと考えられているこの行事は、平成28年12月1日にユネスコ無形文化遺産に登録された。
説明文・・・四日市観光協会HPより一部抜粋
伝統・技術
-
- 使用画像
- 四日市STYLE
14P上段写真 - 説明文
- 【伝統・技術】
「日永うちわ」や「萬古焼」、「大矢知手延素麺」に代表される四日市の伝統と技術。それらは長い歴史をかけて受け継がれて来ました。豊潤な自然に育まれたこのまちは多彩な伝統工芸品や特産品にあふれています。
※説明文・・・四日市STYLEより一部抜粋
-
- 使用画像
- 日永うちわ
- 説明文
- 【日永うちわ】
江戸時代から伊勢参りの土産物の一つとして旅人たちに人気を博し、東海道の間の宿「日永」で盛んに作られていた。一本の丸竹を64本に割き、それを広げてうちわにするので持ち手は「丸柄」となるのが特徴で、手によくなじむ。現在では一軒のみが手仕事で作り続けている。三重県指定伝統工芸品である。
※説明文・・・四日市STYLE HPより一部抜粋
-
- 使用画像
- 地酒
- 説明文
- 【地酒】
古くから良質な米の産地だったことに加え、清らかで水量豊富な鈴鹿山脈からの伏流水、山から吹き抜ける寒風などの好条件がそろい、おいしい地酒が造られてきた。
※説明文・・・四日市STYLE HPより一部抜粋
-
- 使用画像
- 四日市萬古焼
- 説明文
- 【四日市萬古焼】
桑名の豪商、沼波弄山が江戸中期に窯を開いたのが始まりとされ、後世に受け継がれ永続することを願い「萬古」または「萬古不易」の印を押したのが名前の由来と言われている。紫泥の急須や耐熱性に優れた土鍋が代表的。
昭和54年に「伝統的工芸品」の指定を受け、また、多くの職人が伝統工芸士の認定を受けるなど、その伝統・技術は脈々と受け継がれている。
※説明文・・・四日市STYLE HPより一部抜粋
-
- 使用画像
- 四日市STYLE HP「大矢知手延素麺」写真
- 説明文
- 【大矢知手延素麺】
鈴鹿おろしと朝明川の清流という、気候と風土に恵まれた大矢知地区で約200年前から生産されてきた手延素麺。
中部圏を中心に出荷されており、コシの強さが評判。
※説明文・・・四日市STYLE HPより一部抜粋
-
- 使用画像
- 四日市STYLE HP「伊勢茶(かぶせ茶)」写真
- 説明文
- 【伊勢茶(かぶせ茶)】
全国第3位のお茶の産地である三重県。
黒いネットを茶葉にかぶせて日光を遮り、甘み成分が苦味成分に変化するのを抑えた「かぶせ茶」は、うま味や甘みが強いことが特徴です。
※説明文・・・四日市STYLE HPより一部抜粋
工場夜景
-
- 使用画像
- 四日市STYLE HPより「工場夜景 上段写真」
- 説明文
- 【工場夜景】
「四日市市は、産業の街として日本の経済を牽引し、発展の過程では大気汚染、工場排水等による公害問題も発生しましたが、市民・事業者・行政の懸命な努力によって大きく改善され、良好な環境を取り戻しました。現在、洗練された機能美を有する強大なコンビナートは、夜、幻想的な輝きをもって人々を魅了し、工場夜景の聖地と呼ばれています。
※説明文・・・四日市観光協会HPより一部抜粋
-
- 使用画像
- 四日市STYLE HPより「四日市港ポートビルから」
-
- 使用画像
- 四日市観光協会HPより「四日市の工場夜景ギャラリー」2段目の左から3枚目
-
- 使用画像
- 四日市市観光・シティプロモーション課様より
-
- 使用画像
- 四日市観光協会HPより「四日市の工場夜景ギャラリー」3段目の左から4枚目